過去の取材

2018年5月20日(日)、名古屋・名演小劇場で行われた、 アルフォーズ・タンジュール監督とのスカイプ対談

<「ゴチソー尾張」管理人の麟太郎さまが、当日のトークの模様をまとめていただきました。原文はこちら

岡崎弘樹 アルフォーズ・タンジュール監督は私と同い年で、1975年生まれです。東欧のモルドバで映画の学位を得た後、シリアに帰って短編映画などを撮っていました。その後「アルジャジーラ・ドキュメンタリー」でテレビのドキュメンタリーを撮られて、今回初めて劇場版の映画を製作したんです。そうしたら、見事昨年の「山形国際ドキュメンタリー映画祭」(YIDFF)で最優秀賞(山形市長賞)を獲得しました。今後、益々新しい作品が期待できる監督です。

アルフォーズ・タンジュール監督 今日皆様とこういう形で繋がれる、コミュニケーション出来るということを本当に幸せに思っております。『カーキ色の記憶』の制作期間は、3年半でした。元々ダマスカスにいた頃から構想を練っていたんですけど、2011年にシリア危機が始まって、私はその後ベイルートに一時退避しました。ただ、ベイルートにも長くいられなくて、結局ベイルートからヨーロッパの方に脱出、亡命し、最終的には、オーストリアに行きました。大勢のシリア難民と同じように、私も欧州に逃れたんです。その際ずっとプロデューサーのルアイ・ハッファールと協力し、ある意味私自ら難民となりながら、撮影を試みました。

私は映像作家で、ジャーナリストではありません。だから、シリアの状況を、映画を通じて伝えようとしました。2011年以降、世界はシリアで何が起こっているかを注視してきました。それまでシリアに注目してなかった国でも、毎日のようにシリアのニュースが流れるようになりました。報道は、日々の戦火の中で、子供が死に、街が破壊され、人々が逃げ惑うような状況を伝えてきました。そのような映像が流れる中で「自分は、映画として何が作れるのか?」と、向き合わざるを得ませんでした。その中で私は、そのようなニュースとは別のやり方で、映画を作ろうと試みました。その時に選んだのは、やはり自分の経験に基づいて、自分の友人との関係を起点にして物語を生み出すという手法でした。そうすることによって、ニュースとはまた違う、より真実味を持った作品に近付けるのではないかと考えたんです。この映画で取り組んだテーマは、「記憶」です。現在のシリア危機が、何故起こったのか、その原因を探るという意味で、この映画では「記憶」に拘りました。またこの映画を作る上で特に重要視したのは、ある意味「詩的な表現」に拘ることです。シンボルを使ったり、色を使ったり、語りを入れたり……ニュースとは異なる、何かしら芸術的な形で仕上げていくことを試みました。

お客様① アルジャジーラが今回の作品のように映画制作に携わることは、一般的なことなんですか?

タンジュール監督 「アルジャジーラ・ドキュメンタリー」は、これまで劇場映画の製作には関わってきませんでした。基本的には、「アルジャジーラ・ドキュメンタリー」のチャンネルで放映する作品を作ってきたんです。私自身、2008年くらいからこのテレビチャンネルの番組を撮っていました。実はこの『カーキ色の記憶』は、アルジャジーラ・ドキュメンタリーが初めて作った劇場映画なんです。ちょうどアルジャジーラ・ドキュメンタリーの経営陣に「そろそろ劇場映画も作ってみたい」という思いがたまたまありまして、そこに私の企画が合致して偶然できた、最初の、ある種「お試し」の劇場用映画なんです。もう一つ重要なのは、同時にアルジャジーラ・ドキュメンタリーはお金は出すんですけど、監督がどのようなものを、どうやって作るかという点には介入しないという条件だったんです。そんな訳で、本当に自由に作らせてもらいました。

お客様② アンドレイ・タルコフスキー監督の『ノスタルジア』が印象的に使われていましたが、これは難民のイメージからの引用でしょうか?

タンジュール監督 私は旧ソビエトのモルドバで映画を学んだので、若い頃ソビエト映画のスクールに属していました。仰るようにタルコフスキーは亡命経験を描いていて、またタルコフスキーは時の経過や記憶というものも扱っているので、今回自分が創りたい作品に合致したんです。さまざまな情景をどのように映像として表現するかということも、彼に影響を受けています。

お客様②(同じ) タルコフスキーの出身地であるロシアは、アサド政権を支援しています。シリアを巡る国際社会について、思うところは多いのでは?

タンジュール監督 シリアと国際情勢との関係は、確かに複雑なんですが……私はジャーナリストではなく映像作家なので、やはり私が焦点を当てたいのは、人々の日々の生活なんです。政治ではなく、人々の生活、そして生活の意識というものに焦点を当て、間接的に政治を語るということがあれば良いと思っています。そこが第一の目的なので、諸国の思惑の詳細については、そもそも映像作家として直接的に描く気はありません。

お客様③ 日本はほとんど難民を受け入れていません。尚且つ、入国管理局の非人道的な対応が問題になっています。日本の観客に何かメッセージはありますか?

タンジュール監督 シリア難民自体、世界で政治的な道具になっているという問題があります。そもそも各国は難民を怖がっていますが、特にシリア難民を怖がっています。どの社会でも「右派勢力」というのは自分らが選挙戦で勝つために、そんな恐怖心を煽って利用します。欧州の場合は、更にイスラム過激派に対する恐怖心もプロパガンダの中で使われています。シリア人たる自らの経験からも明らかなのですが、そもそも誰も難民にはなりたくないんです。シリアという国は観光資源や天然資源にも恵まれ、農業も盛んで、そもそも飢餓すらも起こりようもないない国だったんです。しかし2011年、人々が通りで自由や民主主義を求めたことに対して、体制側は銃を以て弾圧しました。混乱が混乱を呼ぶ中で、多くの国民は自らの土地を離れざるを得なくなりました。難民を受け入れていないのは日本だけでなく、例えば同じアラブ諸国である湾岸諸国も同様です。欧州でも、ある種のエリート層(の難民)は受け入れながらも、そうじゃない人は受け入れなかったり……色々な差別があるのです。こういう状況に対して、私は特に映画を通して抵抗していきたいと思っています。

お客様④ 「シリアがフランスから独立した年と、日本の終戦は同じ年」といった表現があったり、「津波のような光景だった」との表現があったりしました。日本を例えに出したのは、何か理由があるんですか?

タンジュール監督 シリア人も、今住んでいるオーストリアの人々も、日本を美化しているところがあります。とてもシステムが確りしていて、皆仕事熱心で……そういうイメージがあります。イメージだけでなく、実際そういうところがあると私は感じています。去年、山形国際ドキュメンタリー祭に、その後東京の上映会に参加した際、今まで自分が参加した上映会の中でも、本当に類例を見ないくらい凄く満足した時間を味わいました。良い意味での集団主義というか、チームワークというか、そういうものを感じました。ある種のグローバリズムの中で、良いものを維持しているのではないかと感じています。実際、私が使う撮影カメラや編集機材のかなりの部分が日本製で、私自身良いイメージを持っています。そのようなイメージは、シリア人はじめアラブ諸国でも普通に言及されています。津波に関しては、シリアで起こっている人道的悲劇と同じ2011年に起きた震災ということで、そんな二つの悲劇が重なったことでイブラーヒムさんは比喩として使ったのではないかと思います。

お客様⑤ 監督は、アサド体制に対する各国の対応をどう思いますか?

タンジュール監督 アサド政権はロシアなどに支持されていますが、長きに亘って「世俗主義の擁護者」や「少数派の保護者」といった、国際社会から支援されるように色々なイメージ像を広め、浸透させることに成功しました。自国民を弾圧する一方で、「イスラエルに敵対する国家」ということでイランの支援を得たりして、アサド政権の存続は今後もある程度見込まれるでしょう。しかしシリア国民自身はアサド政権を信じていないし、国際社会も信じていません。2011年にデモに出て自由や民主主義を求めたんですけど、今は夢を失っている状態です。そして、世界に対する信用を失っているのが現状です。

タンジュール監督 次また新しい映画も取り組んでいますので、新しい映画が出来た際には昨年と同じように日本に来て、またお客様の目の前で直接お話できる機会があればと思います。本当に、今日はどうもありがとうございます。